私はずっと建築というものが世界を変える力があるのではないか、と思ってきました。
私は5歳のときに建築家になりたい、と思いました。1970年です。そのとき、大阪で万博が開催されました。私も家族で大阪万博に出かけました。
そこで私が目にしたものは、これまで見たこともない世界でした。想像したこともない世界でした。見たこともない想像を絶するかたち、大きさの建物が目の前に建ち並んでいて、その建物のなかやまわりに大勢の外国人がいました。
私は名古屋で生まれ育ち、それまで外国人を見たことがありませんでした。
そうしたなかでも今も記憶に残っているのは、岡本太郎さんの「太陽の塔」を取り巻くように広がっていた大きな広場でした。後になって知ったのですが、これは万博のシンボルゾーンの中心をなす「お祭り広場」というイベントスペースでした。建築界の巨人である、丹下健三さんや黒川紀章さん、磯崎新さんらが設計をした建築です。
「お祭り広場」は文字通り巨大な広場でした。日本には当時、まだ広場、という概念さえもがなかったのではないか、と思います。だから私が目にするのも当然はじめてです。それは巨大な無柱空間であり、同時に巨大な屋根でもありました。その大屋根の下にいろいろな装置が仕掛けられていて、さまざまなイベントに対応できる柔軟性を実現させていました。
大阪万博はちいさな子どもであった私に初めての衝撃を与えてくれました。
このときはじめて、こうした建物を設計しているのが、建築家とよばれるひとびとであることを知りました。私たちの暮らす世界が、日本だけで閉じているわけではなくて、実は日本が世界の一部しかないことも知りました。そして私自身も漠然と建築家になりたい、という夢をえがくようになりました。また、世界をもっともっと知りたいと思い、世界のひとびととかかわる仕事をしたい、と思うようになりました。
今、建築の設計の仕事にたずさわるようになって30年以上がたちます。そして、今もいつも同じことを考え続けています。建築というものが世界を変える力がある。
しかし、おとなになって歳も重ねた私はそう言い切れる自信はありません。大阪万博は私にとって建築家になりたい、という夢の原動力にはなりましたし、そのことによって私の人生は豊かで楽しいものにはなりました。大阪万博は当時の高度成長期の象徴ではありました。もちろん大阪万博が建築界に与えた影響は計り知れません。果たして世界を変えることができたか、は誰も計測することもできませんし、言い切ることも難しいと思います。
もしかしたら、建築が世界を変えることはできないのかもしれません。そもそも世界というものは、建築が成し遂げうるものとは違ったルールのなかで構成されているものなのだと思います。
けれど、建築は夢を実現してくれたり、ひとを楽しくしてくれるものではあると思いますし、そう信じています。